展覧会では、案内状や記録集に、美術館学芸員や美術評論家の方より寄稿いただくことがあります(※)。
長年その作家を見続け、ギャラリーとは異なる冷静で客観的な視座で作品を論じたテキストは、展覧会を盛り上げるのみならず、記録として後々まで残る大切な宝物です。
小さなギャラリーであっても、作品だけでなく作家自身の生き様、そして、このようなかたちで関わる方々の情熱が積み重なることで、展覧会もギャラリー空間の厚みも増していく気がしています。
今日は、インターネットで瞬時に世界と繋がり、様々享受できる今、ギャラリーの存在意義も問われてくるポストコロナの社会へ向けて、カメリアでもお世話になっている旧知の美術評論家、樋口昌樹さんからの応援メッセージをご紹介いたします。
画像は緊急事態宣言後、観光客もビジネスマンも消えた銀座の街や地下鉄。ヨーロッパのハイブランドショップからはショーウィンドウのアイテムも消えています。
コロナの今、画廊について思うこと
コロナ対策で緊急事態宣言が発令され、美術館のみならずほとんどの画廊が休廊している。
四月下旬に仕事の都合で久々に銀座に出向いたのだが、営業している画廊はわずか数軒だけだった。東京都の感染拡大防止協力金の対象にもちろん画廊も含まれているし、ようやく審議が始まった政府の休業補償の対象にもなることだろう。しかし休業で困っている人々の中にアート関係者を含めて考えている政治家が、日本にいるのだろうか。なにしろ政府が進めている雇用調整助成金の対象に、最初のうちフリーランサーは含まれていなかったのだから。いち早く文化相がアーティスト支援を打ち出したドイツといかに違うことか。そのときに思い出したのは、クリストのベルリンの議事堂梱包を追ったドキュメンタリー映画「梱包されたライヒスターク」の中で、議事堂梱包の是非を巡って侃々諤々の議論が繰り広げられるドイツ議会のシーンだった。日本では絶対にあり得ないと衝撃を受けたのだが、今も状況は変わってはいない。日本の政治家の目には、企業で働く正社員の姿しか映っていないのだろう。
緊急事態宣言が解除になったとしても当分の間は自粛生活が続くだろうし、その間にぼくたちの生活様式も変わっていくに違いない。これまで以上にネット通販が盛んになっていくことはまず間違いないだろう。小売業界には大きな変化が訪れる。その中で画廊はどうなっていくのか?
全く影響がないとは思わないが、ネット通販が美術品売買の主流になるとは、ぼくには思えない。これはアートとは何かという本質に関わってくる話だ。多くの研究者や評論家が指摘するように、アートとは単なるモノではなく、作品と鑑賞者との間に生成する、ある種の化学反応のようなものだ。作品の置かれる場、鑑賞者と出会う場も含めてのアートなのである。Face to
faceであること、これはアートにとって必須の条件なのだ。だから画廊がネット通販にとって代わられるなんてあり得ないと思いたい。ただ、あり得ないと強く言い切れないのは、残念ながら画廊が多くの日本人にとって馴染みの薄い場所であるからだ。これも古い記憶になるが、もう20年位前に週末のニューヨークの画廊街を廻っていたとき、スポーツウェアを纏ったジョギング帰りの人がふらっと入ってきたことがあった。画廊に立ち寄ることがジョギングと同じように日常化していることに驚かされた。
仕事帰りに飲みに行ったりカラオケで歌ったり、あるいは映画を見たりという、多くの人々にとってこれまで当たり前であった生活が変容するかもしれないポスト・コロナ社会において、絶対に「三密にならない」画廊巡りというライフスタイルが、少しは日本に根付くといいのだが。
2020年4月29日
樋口昌樹(美術評論家)
※ 展覧会記録集・展覧会テキストにつきましては、メニューより " publications / 出版物 " のタブをご覧ください
樋口さんテキスト 橋本トモコ展 →